2011年10月 のアーカイブ
Happy Birthday

御歳76歳になります。
四男坊がケーキを運んできたら、誰の誕生日かわからなかった様子で、キョトンとしている。
三男坊が、“ばーちゃんお誕生日おめでとう”と言うと、“いじゃ、忘れとったわエ~(あら、忘れてた)”と一言。
まだまだボケてもらっちゃ困るのである。
色気の無い野太い声(次男・三男・四男)のHappy Birthday to youが歌い終わり、ローソクを吹き消すのでありますが、一回・・・、二回・・・、三回目でやっと吹き消すことが出来た。
小さいころ、悪戯をするたびに、ド迫力で叱られたのが嘘のようである。
自分の誕生日を忘れている(?)くらいだから、解っているかどうかは不明だけれど(もしかしたら解っていないフリをしているのかもしれないが)、まだ喜寿のお祝いをしていない・・・。
今年が終わらぬうちに・・・。
取り敢えず、今日はケーキで許せ、ばーちゃん。
花より団子

山を歩くには、暑くも寒くも無く、最高の一日でした。
お客様の構成は、東京の方が半分、佐渡の方が半分でした。
その中でも特筆すべきは、ご夫婦でお越しのお客様で、今年ご主人は2回目、奥様は3回目との事。
何れも山歩きのための来島との事、佐渡の山ってスゲー!と素直に思いました。
皆さんお目当ては金剛杉とのことで、花の少ないこの時期としてはありがたいお客様でした。
お目当てが金剛杉とは言っても、やはり一年に数回佐渡を訪れる方々、山野草に関する知識は、私なんかよりはるかにあるわけです。
“花咲いてなくてよかった~”(ガイド失格です)。
歩きながら、質問攻めにあうんじゃないかと思って、ドッキドキ。
花よりダンゴですからね~なんて、何時までもオチャラケている場合じゃありません。
こりゃ春までにちゃんと覚えなきゃいかんです!
ガイドするたびにドキドキしてたんじゃ身体によくありません。
無事、金剛杉に到着し、皆さんは待ち焦がれた恋人に逢ったかのように感動されていました。
確かに、地元の私ですら何度見てもその存在感に気圧されそうになりますから、初めての方々の感じ方は言うに及ばず、と言うところでしょう。
皆で記念写真に納まり下山の途に。
次から初心者マークでもぶら下げようかな?
跳坂より

今頃祭りのことを書くのも躊躇われるので、何を書こうかと思案してもなかなか思い浮かばず・・・。
無理に書こうとすると嘘臭くなるので、今日まで放置。
18・19日と修行時代の先輩がご夫婦で遊びに来られ、18日はお迎えがてら観光案内をする。
鷲崎灯台、二ツ亀、大野亀と案内し跳坂へとさしかかり、車を止める。
“絶景!”
ご夫婦ともに感嘆の声を上げられた。
“港でいただいたガイドブックには、こんなにいい場所があるなんて書いてないよ、何で?”
“こういうのが見たくて旅に出るんだよ”ともおっしゃる。
“犬吠崎なんて、地球が丸いのが分かる!それだけで人を集めてるんだから”
住んでいる人間には、毎日見飽きている風景だから、自分達が島の価値に気付いていないことをまたまた教わる。
ブログって、そういう情報も発信するツールでもあるんだから、コツコツ書いていかなければ・・・(西川キヨシ氏みたいですが)。
カウントダウン

若い衆から子供たちまで、村中を門付けして回ります。
門付けとは、その家の厄除けや無病息災、そして繁栄等々を祈念し、芸を納めることを言います。
関の門付けには、二尺太鼓を打つのですが、この太鼓がなかなか手強い。
9月25日のブログ、たっかたっか・・・に書きましたが、今年もM氏の指導の下、皆が一生懸命練習しています。
写真中央に写っている白く丸い物体は、太鼓の順番が回ってこない時の練習用に作った、廃タイヤにガムテープを貼り付けたもので、村の豆腐屋作です。
本殿には尺太鼓があるのですが、やはり二尺太鼓に集中します。
大人達が太鼓を占有していると、子供達はする事が無くなるので、大人達の打っている太鼓の真似をしながらの練習となり、このタイヤが登場するわけです。
写真は、またまた登場の我が家の四男坊君と後輩達。
家では一番下でも、練習に来れば後輩がいるのであんちゃん(お兄さん)です。
“そーらねーわえ、こーらわえ”(そうじゃないよ、こうだよ)。
指導にも熱が入っています。
祭りまであと2日です。
関岬へ

お供は再度登場の四男坊君である。
彼はジャックの散歩をする時、ほとんど自転車に乗って付いてくる実に省エネな男の子である。
海府荘から関岬にある休暇村の駐車場までは、凡そ1.6km。
往復で3kmちょっとであるから、軽い運動がてらの散歩にはちょうどいい距離である。
この時期の道中には、くるみがバラバラと落ちているので、拾い集めれば結構な量になる、のであるが、周り中その状態なので拾う気にならない、いわゆる、この地に於いてはくるみは希少価値の無いものなのである。
もったいないな~とは思うものの、手が出ない。
誰か拾いに来ればいいのに。
これが松茸だったらな~、と調子の良いことを考えつつ家路についた。
虎の穴

今日の買出しで、小鯖がとてつもなく安かったので、ツミレでも作ろうと買ってきた次第。
仕込みを始めた所に、彼にとっては運悪く、私にとっては都合の良い事に帰ってきた。
料理に関心があるらしく、よく私の仕事を覗いていたりする。
そうそう、彼の作る厚焼き玉子は、もう少し完成度を上げれば、充分お金を取れるレベルである。
“新しい技を教えてやるから、ちょっと手伝えさ”と誘うと、すんなり応じる。
まだ可愛いと言える頃である。
”魚の手開きを教えてやるから、ちゃんと覚えろよ!”といいつつ教えると、悪戦苦闘をしながらもなんとか開いていく。
お~、門前の小僧だのぉ~と感心し、親馬鹿の境地に至る。
何時まで手伝ってくれるのかは分からないが、息子と並んで仕事をするというのは、満更でもない。
誓の歌

代わりに、誓いの歌と言うのを歌っていました。
その歌が書かれている額は、今、海府荘のロビーに掲げています。
庭の花たちⅢでふれた小学校が廃校になったことは既に書きました。
小学校の名は、外海府小学校といいました。
入学式で、当時の相川町役場外海府出張所長の山口善一おじさん(親戚のおじさんで、屋号が善太郎なので、善太郎おっさんと呼んでいました)に名を呼ばれ、全員の点呼が終わると、出張所長が“地域の宝をお預けします、よろしくお願いします”と会田馨校長先生に言い、校長先生が“確かにお預かりいたしました”と言ったことを今でも忘れません。
皆、一様に緊張していたと覚えています。
進学のために東京に出て、程なく廃校になることを両親に聞かされました。
当時は新しい生活があまりに刺激的で、廃校の寂しさは薄かったかもしれません。
平成6年に帰郷し、家業をついで現在に至るのですが、その時にはまだ校舎は残っており、通りかかると当時を懐かしんでいました。
平成18年7月、老朽化のためとうとう校舎の取り壊しとなりました。
取り壊しが始まる前に、校舎内で欲しい物があれば持って行ってよいと聞き、もし、まだ誰も持って行っていなければ体育館に据え付けられていた誓の歌の額を持って来ようと学校に向かいました。
私と後輩3人で校舎に入りましたが、体育館にあったはずの額は無く、少々がっかりしていると、後輩の一人が、校長室で額を発見し、持ち帰ることが出来ました。
取り壊しが始まると、わが身を削られる思いと同時に、学校が無くなる寂しいという気持ちが初めてこみ上げてきました。
校門だけを残し、更地となった小学校跡を通りかかると、今でも入学式の時情景をを思い出します。